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2019.04,13~ AUS Brisbaneにてワーホリスタート。初海外0からの挑戦でワーホリへ。天職である保育教諭を退職し、25歳にして初めて地元宮崎を飛び出し、未知の世界に飛び込んだAyumiの波乱万丈になるであろう日々の記録。子ども達の夢の選択肢を広げたい。〜全ては子ども達のために〜

最後のブログリレー🌈 by Takayuki

どうも、クモの話でお馴染みのTakaです。

 

ワーホリも2年目の終盤に入ろうかというときに、

計画していた完璧なワーホリ設計壊れました。

 

完全に不完全燃焼です。

なんと後味の悪い終わり方なのでしょうか。

 

私はシドニー空港で

販売の仕事をしておりましたが、

コロナのせいで残り契約を

2ヶ月残したところで帰国になります。


とても残念です。


とまぁ、それは置いておいて今回また

ブログを書かせていただく機会をいただきました。
私はこれまで過去に3回ほど

このブログを書かせていただきましたが、

私のワーキングホリデー生活については

一度も書いてこなかったので

今回初めて私のワーキングホリデーについて

綴らせていただこうと思います。

 

 

まず私のワーキングホリデー遍歴を簡単に


・2018年9月〜2019年1月
シドニーに来る、語学学校に通う
・2019年1月〜2019年4月末
スポーツ用品店でバイト

・2019年5月〜9月
クイーンズランドに行く、いちごファーム

・2019年9月〜11月
シドニーに戻る、スポーツ用品店でバイト、重度のギャンブル中毒になる
・11月〜2020年3月
シドニー空港のチョコレート屋でバイト


こういった感じで基本、

シドニーを拠点にして生活していました。

 

私はこの約1年半の

オーストラリアでの生活を振り返り、

オーストラリアに来たことは

正解だったと断言できます。

 

それは、海外生活を通して日本ではできない

おもしろい経験をたくさん積めたので

御の字だと言えるからなのですが、

それ以上に素晴らしい友達に出会った

ということが私の中ではオーストラリアに来て

一番良かったと思える要因です。


なんだか聞こえの良いことを

ベラベラと綴っていますが、

渡豪してからしばらくの私は

カブルチャーでファーム生活をするまで、

それはそれは厄介で痛々しい思想を

持っていました。


今だから言える話ですが、

私は渡豪する際に決めていたことがあります。

 

それは

[日本で出来ることはしない]

ということです。

 

それはもちろん英語力を伸ばすために

決めたことなのですが、

日本で出来ることはしないということはつまり


・日本語は話さない
・日本語は聞かない
・日本人と働かない
日本食は食べない
・日本のニュースは読まない


など、とにかく日本で出来ることはしない、

ということでした。
(日本語を使うのは日本にいる

友人家族と連絡を取る時だけ)

 

ということは要するに


オーストラリアで日本人とは一切関わらない

 

ということです。
(あー、いたたたたた)

 

 

 

当時私は日本人との関わりの一切を拒絶し、

それは段々とエスカレートしていき

ピーク時には語学学校や街中で

たまたま日本語が耳に入ってくるだけでも

苛立ってしまうほどの重度なものでした。


ですがここはシドニー

たくさんの日本人がいるため避けようとしても

関わらずを得ない状況がいくつかありました。


ある日、語学学校内で英文法を教えてと

声をかけてきたとある日本人の子には

“それなら文法書を読んだほうが早いよ”

と突っぱねたり(本当ごめんなさい)

 

当時住んでいたルームシェア

これから新しく来るシェアメイトが

日本人だと知った瞬間にオーナーに電話して

すぐに引っ越す旨を伝えて、すぐ引っ越したり。
(自分めんどくさ、ごめんなさい)


それ以外にもたくさんあります。
(ごめんなさい色々)

 

 

という具合に目的意識が強すぎて

視野が極端に狭まり、人としてどうなの?

という疑問が生まれるくらいの

厄介な人格になっていました。

(その時私と関わった人たち、ごめんなさい)

 

そのため渡豪してから

シドニーでできた日本人の友達は殆どいません。


当時ワーキングホリデーに求めていたことは、

新しい経験と英語力の向上以外にはなにも無く、

日本人と関わることはシドニーでは無駄なことだと

信じ込んでいました。


ですが結果的に私は、そんな日本人達から

新しい経験だとか、英語力なんかよりも

もっともっと大事なことを学ぶことになりました。


そんな日本人達とは言うまでもなく、

カブルチャーで出会った仲間たちです。

 

それまでの私は日本人を見るなり


(うわ、日本人いるわ。

日本語耳に入らないように遠くいこー)

という感じでしたが

 

今では

 

みんなあーそぼ❤️
ご飯食べよ❤️❤️
旅行行こう❤️❤️❤️
みんなだいすき❤️❤️❤️❤️

 

 

という具合に見事に人格が180度↪️転換し、

それまで持っていた厄介な思想は

見事なまでに一掃されたのです。


私は未だにそんな短絡的な思考回路を

築き上げた自分を恥じています。

人格が180度方向転換したのは紛れもなく、

カブルチャーで出会った人たちのおかげです。


ファーム生活はきつい労働と

それに見合わない低賃金、

さらに悪名高いカブルチャーでの生活ですから

それは仲間無しでは乗り切れない

大きな障害だと思います。


私はそんな過酷な生活を彼らと共に送る中で

偏った考えが薄れていったのだと実感しています。


ファーム生活はたしかにキツかったし

早く終わりたかったけれども、

彼らとの生活の楽しさ、彼らの人間性や温かさ、

協調性に触れた結果、

私のオーストラリア生活を総括してみると、

カブルチャーでの生活が一番濃厚で

楽しい時間でした。


それはみんなが良い人たちで、

いつもふざけて笑い合い、

そして協力し合うことのできる人たちに

囲まれたからこそ、

そう思うことができるのです。


彼らはファーム労働に打ちのめされてる

私の背中を押し尻を叩いて励ましてくれて、

家では和気あいあいとふざけあったり、

色々語ったりして楽しい時間を共有して

最終的に私にセカンドビザを

取らさせてくれました。


そんな過程の中で皆んなの

温かい人間性に触れることによって

私は英語なんかよりももっと

大切なことに気づくことができたのです。


私は冒頭で、私のワーキングホリデーは

不完全燃焼で終わることになるけれども、

オーストラリアに来て正解だと言いました。


それはもちろん、新しい経験もしたし

英語力も伸びたので

オーストラリアに来てよかった。


でもそんなことを余裕で霞ませてしまう

素晴らしい友達に出会えたこと、

それがもっと大切なことであり

私がワーキングホリデーで得た一番の宝物です。


一生忘れることのできない

素晴らしい思い出を一緒に作ることができて

本当に嬉しいです。
感謝しています。

 


コロナのせいでまだまだやりたいことありました。

正直言って悔しいです。

 

けれども私はオーストラリア生活で

かけがえのない財産を得ることができたので

私のワーキングホリデーは大成功だったと

言えます。(しつこい)

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不本意ですがいよいよ帰国の時が迫っています。

次は日本で、皆んなに会えることを

心から楽しみにしています。

 

みんな、俺のオーストラリア生活を

素晴らしいものにしてくれて、本当にありがとう!


うぅ…


そして私がこのブログを担当するのも最後です。

今までの長文駄文にお付き合いいただき、

ありがとうございました。